まもなく平成が終わり、令和という新しい時代がやってくる昨今、親が子供に対して「性差別をしている」と聞いてどうお感じになりますか。これは半世紀も前の話ではありません。今の話です。
年間150人の「子を持つ母」との家計相談の最前線で、未だ親が子供に性差別をしていることを感じます。東京大学の祝辞で読まれた言葉から、現代の「親から子への性差別」で感じたことを書こうと思います。
平成31年度東京大学学部入学式の祝辞(全文)
平成31年度東京大学学部入学式 祝辞
https://www.u-tokyo.ac.jp/ja/about/president/b_message31_03.htmlー東京大学 ウェブサイトより
この祝辞を読んだのは、認定NPO法人 ウィメンズ アクション ネットワーク理事長 上野千鶴子さんです。
女性学やジェンダー論などの研究をなさっている方ですね。発言には賛否両論がありますが、今日はそこについては触れるつもりはありません。
教育現場の性差別・親の性差別
社会に出ると、性別で差別されることはごく当たり前のように横行しています。きっと一度はその不平等を感じたことがあるのではないでしょうか。
学校では男女平等だと教え、男子は技術・女子は家庭科などのように教育内容が分けられることはありません。体育も女子も男子もサッカーをし、ダンスをします。
ですが、「社会はまだまだ不平等だけれど、学校教育では男女の差なく教育の機会が与えられつつある」と感じているだろう『親自身が』実は教育の機会に対する性差別を行っていることが多いと聞いたら、どう思いますか。
この祝辞には、このような一文があります。
2016年度の学校基本調査によれば4年制大学進学率は男子55.6%、女子48.2%と7ポイントもの差があります。この差は成績の差ではありません。「息子は大学まで、娘は短大まで」でよいと考える親の性差別の結果です。
いやいやいや、今どき娘だって短大じゃなくて大学まで行かせようと思っているわ。
きっとそのように感じていると思います。男子は大学・女子は短大。このようにおっしゃるお母さんとは、私はあまり出会いません。
でも実は、その代わりにこんな言葉をよく聞くのです。
「女の子だから文系までかな」
教育費は際限なく出していたら、親自身の老後が脅かされかねません。そのため、よほど余裕がある場合を除いては「上限」をイメージしてもらいます。細かく金額で算出するより、進路ごとでかかる平均的な金額を見ます。
具体的には、小・中・高までは公立と私立、大学は「国立・私立文系・私立理系・医歯薬等」の進路別で想定してもらいます。
ですが、ヒアリングしているとしばしばこんな言葉が出てきます。
「女の子だから文系かな」
「この子は女の子だから、大学受験なんてしなくて済むように」
理系・文系は学ぶ内容の違いのはずですが、理系は男子の学部でそこで学ぶのは女の子らしくない。可愛くない。そんな気持ちがあるのでしょうか。
どこまで親が出すつもりでいるのかは、親が決めていい。私立文系までであろうと、国立分だけしか出さなかろうと、大学進学資金は出せないと言おうと、そんなことはどちらでもいいのです。
そこに「女の子だから」という出てくることに、私はいつも強い違和感を抱いてるのです。
親の態度が負の連鎖にならないように
男性と女性には生物としては明確な差があります。その点に関しては専門知識は一切ありませんが私はそう思っています。だからこそ、同じに扱うことこそ不平等だ、と思う部分もあります。
ただ、親の言葉や態度が与える影響は大きいと思うからこそ「無意識に性差別を行う」ことをやめてほしいと思います。
もしかして、自分もそういわれてきたのかもしれません。そうやってあきらめざるを得なかったことがあるのかもしれません。だからこそ、いま気づいてください。
不平等は社会にあります。一人だけの力では簡単にどうにかすることができません。
でも、自分の言葉や態度は、いまから自分が変えることができます。
私の父方の祖父は「女は大学なんて行かなくていい」と言ってはばからない人でした。その祖父に育てられた父は「女の子は短大とかに行ってのびのび過ごしたらいいんじゃない」といいました。
私の母方の祖父は「知識は誰にも奪われない財産だ」と娘(母)の教育へのを惜しみませんでした。母は結果として短大を卒業して働き、父のもとに嫁ぎました。
女には教育をしなくていいと言う舅、短大程度でいいと言う夫、そんな環境のなか私たち姉弟に大学教育まで提供するという意志を貫くことがどれほど大変だったか、いまようやくわかった気がします。
母が歯を食いしばって食い止めた「負の連鎖」のおかげで、私は男女差を感じることなく、夫と同様に働き、認められる今を生きています。私は、とても恵まれた環境にいたのです。
あなたは、どの立場でしょうか。
母に守られた私に強く響いた言葉があります。
もう一文だけ祝辞から引用させてください。
あなたたちのがんばりを、どうぞ自分が勝ち抜くためだけに使わないでください。恵まれた環境と恵まれた能力とを、恵まれないひとびとを貶めるためにではなく、そういうひとびとを助けるために使ってください。そして強がらず、自分の弱さを認め、支え合って生きてください。
私は、恵まれた環境を与えられた一人として、FPとして、わずかな力でも社会に還元していきたいと思います。